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清志郎〜!!(号泣)

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遅い晩ごはんを食べながら、たまたま、普段見ない番組を見ていたら、訃報が入ってきたとアナウンサーが慌てていた。
忌野清志郎、享年58歳。

第一報はその時たまたまチャンネルを合わせていたTBSだったようだ。まさかと思い、他局にチャンネルを切り替えてみたら、まだニュース速報のテロップが出ていない。
安住アナウンサー、慌てたのか、ただ不勉強なだけだったのかは知らないが、名前を「きよしろう」ではなく、「せいしろう」と読みやがった(怒) その辺り、怒りを覚えてみたり。北野武さん、もっと怒っても良いのに。
# 番組中に怒る訳にはいかないか...。

もう一度、他局にチャンネルを切り替えてみた。
NHKでも、速報として訃報が報じられた。アナウンサーは清志郎よりも少し若い程度の世代だろうか? どこよりも冷静にニュースを伝える局のはずだが、放送事故ギリギリの無言状態が何度かあった。
その後に見たフジテレビのニュースでも、訃報と共に詳細なプロフィールが合わせて報じられた。

教授(坂本龍一)との名曲「い・け・な・い ルージュマジック」のPVに衝撃を受けたのは、小学6年生の頃。Y.M.O.がソロ活動期間に入っていた頃だ。
教授と熱いキスを交わしていた忌野清志郎って、どんな人? と思い、自宅の隣にあったレコード屋さんで「アルバムを聴かせて欲しい」と店員に頼み込んで聴かせてもらったのだが、これがTechnoしか知らなかった私がRockに触れるきっかけとなったのである。

それから3年が経った、中学2年生の頃。当時大好きだったラジオ番組の懸賞で、RCサクセションのライヴのペアチケットに当選し、ライヴに行く事が出来た。アルバム「A(エース)」発売直後の全国ツアー最終日だったと記憶している。
松山のクラヴ(当時はディスコと呼ばれていたのだが)でのライヴに行きたいと言うと、両親は、あんな不良ばかり集まる場所に行くなんて!!と怒るどころか、「どんな音楽でもいいから、とにかく本物を観に行ってきなさい!!」と送り出してくれた。
メンバーは、仲井戸"チャボ"麗市はもちろん、スペシャルゲストとして"CHAR"こと竹中尚人(ひさと)が参加。今思えば、バーボンの似合う面子だったなぁ。あの場に身を置けた事は、本当に貴重な体験だったと思う。あらためて両親に感謝しなくては。

それから数ヶ月後の12月。ひょんな事から、琉球大学の学生で結成された「海綿体充血バンド」に、唯一の中学生メンバーとして私が参加する事になり、その時に、名曲「雨上がりの夜空に」を演奏した。

社会人になってから、当時勤務していた会社の同僚・Hさんから「清志郎が面白いユニットを作ったんだよ、はらへりちゃんも聴いてみない?」とCDを貸してくれた。ユニットの名前は、HIS。細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美のユニット。ロックに演歌のこぶしのヴォーカル。テクノな人とロックな人と演歌な人のとんでもないコラボレーション。今思えば、発売当時に買っておくべきだったなーと、後悔している。「日本の人」は、今でも歌詞を見ずに歌えるぞ。

それからまた何年か後。海綿体充血バンドのメンバーだったKさんと、某飲み屋で再会。店で酔っぱらいながら、当時、鹿島のCMで流されていた「パパの歌」ではなく、「雨上がりの夜空に」を歌いまくった。
# いや。絶叫した、と書く方が正しいかも...。

私にとって楽しい思い出には、いつも清志郎の音楽があった。

清志郎。あなたは他のロックスターよりも先に旅立ったけど、あなたの音楽はこれからも私の中に生き続ける。

心よりご冥福を申し上げます。

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